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小Lママpakeの日常生活&上海の思い出 (2006/08~2008/05)


by pake_93
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除夕之夜

別の記事にも少し書いたが
子供が寝てしまった後、
皆が家族親戚で集まり、団らんする大晦日の夜の1時過ぎ、
プチ家出をした。

爆竹のピークも過ぎ、
所々で爆竹の音が聞こえてくる程度。
道のあちこちでは爆竹の燃えカスで出来た赤い絨毯が広がっている。




私はムカついているときにひたすら歩く傾向があるが
さすがに夜の1時過ぎに(一応)女性一人で出歩くのは
治安が良いとされる上海でも怖かったので
街灯のある人通りの多そうな場所を選んで歩く。
この道の両側にはレストランやお店がずーっと並んでいる。

この時間帯にも関わらず、それなりに人通りがある。
灯りがまだ着いているレストランの前で
タクシー待ちをしていたり、
酔って気分の悪くなった友人を介抱している人などがいた。

昔の春節の時期なら
大晦日には通常より早めに店じまいしてしまい
それまでに買いだめをしておかないと
春節の間は食いっぱぐれたものだ。
春節に開いている店もごくごく少数だった。
今では、大きな店やレストランは春節中も開いているところが多い。

本来、この日は
家族や親戚が集まり、家で「年夜饭」を食べ、
0時が近づくと、邪気払いの爆竹を鳴らす。
だが近年では家で年越し用のご馳走を作らず
レストランを予約して一緒に食事をするケースも増えている。
レストランにとっても年末の年夜飯は書き入れ時のようで
年末が近づくとレストラン前には
「年夜饭预订中」(年夜飯予約受付中)の看板が立つ。

が、この時間帯では年夜飯は食べ終わっているだろうし
レストラン前でたむろっている連中は
家族連れではなく、どう見ても若い世代の友達同士だ。

ずんずん歩いていって上海でも有数の繁華街へ出ると
人通りは更に増した。
歩道橋の上では、フラフラしながら歩いているグループや
座り込んでおしゃべりしているグループなどが
あちこちいる。
一人でぼーっと景色を眺めている女の子などもいたので
真夜中に一人で出歩いている私のような存在もまったく目立たない。

そのすぐ近くのマクドナルドが24時間営業で
煌々と明かりを点けていたので
そこで休憩。
レジが一箇所しか開いていなくて、
レジ前には少し人が並んでいた。
レジ横にはハンバーガー用のバンズが高々と箱積みされている。

コーヒーを注文して、窓際の席に座る。
店内はそこそこ流行っていた。
夜中の2時だということを忘れそうだ。

ヒマつぶし兼気持ちを落ち着けるために
トレーの上に載っている広告の日本語訳をしていた。
ぴったりした単語を探し出そうとブツブツとつぶやいていたら
後ろの席のグループの会話が聞こえてきた。

「俺が1988年生まれだから…」
思わず、頭の中で計算。18歳かよ!!

後ろのグループは女の子2人、男の子1人の3人グループ。
女の子たちも18歳の男の子とさほど変わらない年齢層。
春節時期に里帰りもせず、上海に居残り
服装も今時の若者風でお金に困っている風でもないから
上海人の学生かな…と思った。

彼らは標準語で話していたので
私でも内容が聞き取れた。
男の子が、ずっと彼女と会っていなくて
バレンタインに久しぶりに会う約束をしたら
「私たち別れましょう」と言われてしまったらしい。
女の子たちも自分の好きなタイプや恋愛感などを話して
盛り上がっていた。
……ていうか、男の子がいてもそういう話するんだ……。

近頃の若い上海人は
上海語を話さず、標準語を話す人が増えてきた。
小学校などでは方言を使うことを禁止されているから
上海語を話すのが苦手な子も結構いるらしい。
年配の世代では標準語のほうが苦手で
標準語を始め話してくれていても、
途中から興奮して上海語になっていたりする。
だが、若い人だと上海人同士で始め上海語で話していても
途中から標準語に切り替わったりも会話を聞いているとよくある。

私は中国語を勉強する外国人だから、
標準語で話してくれると助かるのだが
文化という点では上海語がなくなる…というのはどうかなとも思う。

それにしても
私が言うのもなんなんだが
子供が真夜中に出歩いていて
彼らの親は何も言わないのだろうか?

こういう場面に出くわすと
本当に中国は変わったと思う。
上海にいるから特に感じるのかもしれないけど。

そして彼ら若い世代と話すと
違和感を感じることが多くなった。
20代後半以上であれば、大体話を合わせる事が出来るのだが
20代前半以下の世代とは
近頃本当に「代沟」(ジェネレーション・ギャップ)を感じる。

そういえば、18歳の彼が生まれた年に
私は中国語の勉強を始めたのだ。
その頃はまだまだ昔の中国が残っていたけれど
その後、中国は急成長したから
彼らにとってはもう以前の中国なんて記憶の彼方かもしれない。

2時半すぎ、
連絡が取れないように携帯を家に置いたまま出てきたから
公衆電話から家に「今から帰る」と連絡。

午前3時の通りは、それでも人通りが絶えていなくて
客待ちのタクシーが並んでいたり
コンビニで買い物している若者がいたりした。

うーん、昔なんて普段のときでも
夜9時には人通りが無くて真っ暗だったと思うんだけど。
(↑かなり昔。)

私はもう人生の半分以上を
中国を意識しながら過ごしてきたことに気付き、
この先、中国はどういう風に変わるのだろう…と考えた。
by pake_93 | 2007-02-23 17:57 | 雑談